弥生(3月)の法話☆☆

 如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情を捨てずして、

  回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり 

                  親鸞聖人著『正像末和讃』

 

 

8年前の3月11日、2時46分、

突然の強い揺れに私は咄嗟に一階に駆け下り、玄関の扉を開けました。

東京震度5強。当時、長男が中学1年で二男が小学校5年生。

学校にいれば大丈夫。あの時、多くの母親がそう思ったに違いありません。

しかし、テレビでは信じられないあの光景が映し出されていました。

 

福島県浪江町のお寺の住職ヒロちゃんは、

住職と中央仏教学院の寮で同部屋だったというご縁で弟のような存在。

その日は仙台別院に居たそうです。

その揺れの凄まじさは、後に「地球が終わるかと思った・・」

という言葉から伝わってきました。

 

彼は「大津波がやって来る・・」という情報が錯綜する中、

迫り来る恐怖と戦いながら、

渋滞で動かない国道を避けて裏道を通り必死にお寺に帰ったそうです。

高齢の母親がお寺に一人でいたからです。

 

お寺は無事でしたが、その晩は近所の避難所で寒さに震えながら

一家族一個のおにぎりを分け合って食べたそうです。

小さな子供のいるご家庭はさぞ切なかった事でしょう。

そして原子力発電所の爆発・・

その日から彼の苦しみの日々が始まりました。

 

阿弥陀如来の大悲は、「同体の大悲」と言われます。

私たちの苦しみ悲しみを我が痛みとして悲しみ、

救わずにはおれないというはたらきです。

私たちの悲しみを知る悲しみです。

 

震災で失われた多くの命。

仏さまは一緒に泣いて下っていたに違いありません。

阿弥陀如来が完成して下さったお名前(名号)南無阿弥陀仏は、

苦悩の有情を一人も見捨てることのできなかった

如来の大悲で出来ています。

 

今、ヒロちゃんは各地に避難したご門徒さんと連絡を取り合って法要したり、

全国各地で震災の話をするために飛び回わったりと大忙しです。

生涯の伴侶も見つけました。しかし、まだお寺には戻れません。

悲しみは悲しみのままに,如来の大悲に生かされて頑張っています。

 

今、私にできる事は被災地の悲しみを忘れない事。

そして、語り継ぐ事・・・ 

共に阿弥陀如来の大悲に救われていく者としての、

ささやかな報恩の姿です。

 

 

 

 

本願寺新報3月10日号「いのちの栞」原稿原文まま

*実際の掲載文章は字数の関係で編集者の校正が入ってます。

今月で連載は終わりです。

お読み頂いた皆様、有り難うございました☆☆