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睦月(むつき)1月の法話

   罪障功徳の体となる      こほりとみづのごとくにて
   こほりおほきにみづおほし   さはりおほきに徳おほし

                               『親鸞聖人著;高僧和讃 四十』   


仏暦2552年(西暦2009年)
慈光の元、皆様方には健やかに新年をお迎えの事をお慶び申し上げます。
今年もどうぞご縁を賜りますようお願い申し上げます。

さて、日本漢字能力検定協会が全国公募した、毎年恒例の「今年の漢字」が京都
清水寺で発表されましたが、それによりますと、2008年度は「変」に決定したそうです。

アメリカ合衆国新大統領に決まったオバマ氏の「チェンジ=変革」が一斉を風靡した去年に相応しい言葉かもしれません。
日本ではアメリカの金融破綻の影響を受け、多くの労働者の方が職を失い、人生設計そのものが「変化」してしまわれた方も多かったと思います。

私達は常に安定を求め、人生が計画通りに運ぶことを願っていますが、現実の社会はそうはいきません。
仏教では「諸行無常」を説き、この世のすべての現象は常に移り変わり、一つに留まることがないと、教えています。

「変」という字はある事柄が何かのきっかけや影響によって全く異なるものに変換する事を意味しています。その場合、最初のものと変化したものとでは本質が異なっていることになります。

私達はともすると、仏法(仏様のおしえ)に出遇うと煩悩だらけの救いようのない「私」が仏様のみ心に叶う「いい人間」に変っていくかのように思ってはいないでしょうか?
これはいわゆる「道徳」であって、「仏教」とは違うものです。
では「仏の教え」とはどういうものなのでしょうか?

親鸞聖人は「氷」を「水」に転じていくものだと味合われています。
氷と水はどちらもH2Oで本質は同じものです。しかし条件によって形状が違うだけなんです。
煩悩だらけのカチカチの「私」が如来の慈悲の光を浴びて、だんだんと解けていく・・・しかも「罪障」の多い人ほど、融けた時の「功徳」が多いと味合われているのです。
固く冷たい氷がダイアモンドに変るのではないのです。だた、さらさらと功徳の水に転じていく。それが「仏法」に出遇うという事です。

氷が大きければ、大きい程、解けて水になった時はその量も多いはずです。
言い換えれば「苦悩」を沢山かかえている人ほど、真実の教えに出遇われた時の
「救い」が大きいと言えるのかもしれません。
仏様のハタラキは「変」ではなく「転」なのですね。

今年もお念仏を頂きながら、ご一緒に「仏法」を味あわせて頂きましょう。合掌



         
         母なるガンガー(ガンジス河)に昇る朝日