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皐月(さつき)5月の法話

・・まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の
太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを
快(たの)しまざることを、恥づべし傷むべし。
 
                        (親鸞聖人著;『教行信証』信文類)


緑の輝く美しい季節になって参りました。
皆様、如何お過ごしでしょうか?

さて、5月21日は親鸞聖人のお誕生日です。
ご本山、京都の西本願寺や築地本願寺でも「降誕会(ごうたんえ)」
の法要が修行されます。

親鸞聖人は、承安(じょうあん)3年、1172年4月1日(新暦:5月21日)、
京都の公家,日野家に生を受けられました。
この時代は、保元・平治の戦乱で社会秩序も価値観も崩れ去って、人々に
希望の見えない、いわゆる「末法思想」というものが蔓延しておりました。

親鸞聖人が9歳で得度し、仏教修学の為に上った比叡山でも僧侶の腐敗は
目を覆うごとくで、多くの僧侶は道心を失い、権力闘争に明け暮れる有様で
幼い親鸞聖人を失望させました。

その時の様子を晩年、『正像末和讃』悲歎述懐讃で次のように記されています。

     五濁増のしるしには、   この世の道俗ことごとく
     外儀は仏教のすがたにて  内心外道を帰敬せり



このような劣悪な条件の下で修行を積まれた聖人でしたが、自分の心に
対峙すればする程、ますます醜い自分の心が見え、とうてい悟りへの条件
である「清浄な心」になる事が不可能であると実感されるばかりでした。

このような、行き詰まりの中、すべて阿弥陀如来のご本願にお任せして
成仏する「念仏往生」の教えを説いておられた法然聖人と出遇われ、自分
のようなものが仏になることができる唯一の教えであると確信され、比叡山
での20年間の修行を雑行と切捨てられたのでした。

しかし、それからの人生も決して平坦ではありませんでした。
承元元年(1207年)には朝廷よりの「念仏禁止令」により、僧侶の地位を
剥奪され、藤井善信(よしざね)という俗人にされ、越後に流罪になりました。

しかし、それを悲運とは受止めず、この「念仏」を広く広める機縁とし、
生涯の伴侶となる恵心尼さまと結婚され、ご自分を非僧非俗の「愚禿親鸞」
と名乗られ、このような者でも仏になる道がある事を、生涯、我が身を持って
示されたのです。

親鸞聖人ほど、自分の心に正面から対峙し続けた方を他に知りません。
勧学の梯實円和上は、親鸞聖人の事を一言で
「生涯、自分の心を有りのままに写す『真実の鏡』の前で座り続けた人」
と表現されています。

自分の醜さ、狡猾さ、弱さを見続けるのは苦しいことです。
でも、あえてそれから目を背けず、お念仏という「阿弥陀様のご本願」
にご自分を照らし出して、生涯その身を恥じて傷(いた)んで生きていかれたのが
親鸞聖人というお方です。
しかし、同時にこの救いようのない自分を目当てにはたらいて下さっている
「南無阿弥陀仏」に心から信順し歓喜されたご生涯とも言う事ができます。

そこに、親鸞聖人が身を持ってお示しくださった、凡夫が仏となる唯一の道
が開かれていくのだと思います。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人が為なり。
されば、それ程の業をもちける身でありけるを、たすけんとおぼしめしたる
本願のかたじけなさよ。」
(歎異抄)

「慚愧(ざんぎ)」と「歓喜(かんぎ)」親鸞聖人が生涯持ち続けた、お心です。
親鸞聖人がこの世にお出まし下さった事を感謝し、そのご生涯に思いを馳せて、
是非、「降誕会」法要にご参拝ください。



       
         本願寺鹿児島別院の「親鸞聖人象」




           ケーキ2 法座・イベントのお知らせケーキ2

  
  ☆「フリーマーケット」
      5月3日(日)10時〜15時まで。於:池上本門寺朗峰会館

     「自殺対策に取り組む僧侶の会」で出店します。
        手作りケーキ、バルーンアート、念ブレスの販売など。
        売り上げ金はすべて「あしなが基金」へ寄付されます。
        お近くの方は是非お越しください。   


  ☆「光善寺永代経法要」
      5月17日(日)正午より・・・・・・法要
               午後1時15分より・記念法話

        本願寺派布教使 静岡県長照寺住職
                  本持 信慈 師


  ☆築地別院「降誕会」法要 5月21日(木)14:00より
         記念布教10:20〜講師 大江智朗(西山別院輪番)