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睦月(むつき)1月の法話

  仏慧(ぶって)功徳をほめしめて 十方の有縁にきかしめん
 信心すでにえんひとは      つねに仏恩(ぶっとん)報ずべし 
                       
親鸞聖人著:浄土和讃 讃阿弥陀仏偈


 仏暦2553年(西暦2010年、平成22年寅の年)       

    

皆様、新年明けましておめでとうございます。 
どんなお正月をお迎えでしょうか?

新しい家族をお迎えになられた方、また反対に大切な方を亡くされて
淋しいお気持ちで新年をお迎えになられている方もおいでかと存じます。
本当に人生には、様々な予期せぬ出来事が突然に廻って参りますね。
そんな時、私達はパニックになり、右往左往いたします。

例えば、突然大切な方を亡くされた時、または自分が病魔に襲われた時、
私達は「どうして、自分だけがそんな目に遭うのか」その理由を知りたくなります。
しかし、その時になって、科学や他人の知識、そして自分の経験で答えを得ようと
しても、答えは見つかりません。
いろいろ迷走した挙句、最後には「運命」という言葉で無理やり自分を納得
させて終止符をうってしまうのではないでしょうか。
そこに残るのは諦めと虚しさだけかもしれません。

先日、本願寺の大谷光真ご門主が書かれた「愚の力」というご著書に
次のような一節がありました。

「私の内側に私の力の及ばないものがある、自分が外側からかき集めて
きたものは実は全く役に立たない、そういう存在である自分を自覚する
こと、それが「愚者になる」ということなのです。

親鸞聖人の師である、法然聖人は、「念仏の行者は愚者になりて往生す。」
と仰いました。つまり、愚者の自覚があればこそ、自分の知恵をはるかに超えた
大きな力に我が身をおまかせしようという心が生まれて来るのです。

お任せの身であれば、上から他人を見下したり、他人の非を責めたり
出来なくなってきます。みな、お互い様の心が芽生えてくるのですね。
そして、自分の力ではどうしようも解決のできない「生死(生老病死)」をそのまま
大きな力におまかせしている安心が生まれて参ります。決して揺るがない、
人生の拠り所が恵まれます。これが、往生の因、信心を恵まれたという事です。

この私の「いのち」を必ず仏にすると誓われた、大きな願いの存在に出遇う事。
その事に気づかせるためのご法縁だったのだと、受止められた時、
乗り越えられなかったその「苦しみ」が、意味を持って輝いてくるのではないでしょうか。
そこには、諦めとも納得とも違う、歓びがあります。

あらゆる命は無量の光と命であるアミダの世界に納め取られていくのです。
ただ、素直にお任せすること。
「浄土に生まれたいと願い、我が名を呼ぶものは、一人残らず仏にする・・」
その誓いを信じ、そのお名前(南無阿弥陀仏)を称え、その名前に込められた
願いを聞いていく中に、ありのままの現実を受止めていく勇気が恵まれていく
のだと思います。

お釈迦様が入滅されて2553年・・・
自らの力で覚りに至る人もなく、戒律を守り、教えを実践する人もなく、
ただ教えのみが残っている末法の時代。
だからこそ、自らの計らいを捨てて、すべて阿弥陀如来にお任せして往生する、
他力の教えこそが、この「私」が成仏できるただ一つの教えだと、
私は今、頂いています。

今年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます。        合掌