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皐月(さつき)5月の法話


善知識にあふことも   をしふることもまたかたし 
よくきくこともかたければ 信ずることもなほかたし
              
(浄土和讃 大経讃69)

五月に入り、緑が美しい季節になりました。
爽やかな風が心地良いですね。 

宗祖親鸞聖人のお誕生日


 
 

5月21日は、親鸞聖人のお誕生日を祝う
「降誕会(ごうたんえ)」
の法要が行われます。

 

親鸞聖人は、平安時代末期、承安三年(1173年)の春、

京都の日野の里で誕生されました。

父は藤原氏の流れをくむ、日野有範(ありのり)公で、
宮廷で皇太后の
大進(だいしん)という役職についていた
とされています。

母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘である吉光女です。

父親が宮廷で失脚し、九歳の時に、慈円和尚のもとで
出家されたのは
有名なお話です。

 

それから、約二十年間、比叡山でひたすら、「生死いづべき道」
を求め
厳しい学問と修行に励まれました。
当時は横川の常行堂において、天台宗の
堂僧として不断念仏の
修行をしていたと、親鸞聖人の奥方である恵心尼さまの

お手紙に書かれてあります。

 

どこまで行っても自ら覚ることの出来ない我が身に絶望した親鸞聖人は

29歳の時、比叡山と決別して下山し、後世の祈念の為に聖徳太子の

建立とされる六角堂へ百日参籠されました。
95日目に救世観音の化身が現われ、
夢告を受け、そのまま、
東山吉水の法然聖人の草案に100日に渡り、
聴聞をされました。
この生涯の師である法然聖人との出遇いによって、
親鸞聖人は、
あらゆる命を、そのまま煩悩を抱えたままで、救うと誓われた

阿弥陀如来に帰依していかれたのです。

 

煩悩まみれの我が身を知った時、だからこそ、この「私」を
目当てに
如来になってくださった、阿弥陀さまの大きな慈悲の
温もりに出遇う
事ができたのだと思います。
その安心を得た歓びを「法喜」というのです。
私の煩悩が喜ぶ、
娑婆の喜びとは違います。

 

『歎異抄』の第9条に、このことを問題にして唯円坊が親鸞聖人に

お尋ねになっていますね。


「念仏を頂いて、往生間違いなしと安心しておりますのに、天におどり

地に舞うほど嬉しくないのはどうしてでしょう?」というくだりです。

その時、親鸞聖人は弟子を諭すわけでもなく、私も同じだとお答えに

なるのです。

本当に喜ぶ事を喜ばず、喜ばなくてもいいことを喜んで
いるのは、
私達が煩悩を持っているからなのだ。それに気付いたら、

その煩悩を持っている凡夫を目当てに、必ず救うと働いて下さる、

ご本願を喜ばずにはおれないではないかと・・・


教えは面授直説といわれますが、やはり、教えは説く人の姿そのものを

通して、伝わるものが多いのではないでしょうか?
師匠と呼ばれる方は、人間的にまず、人を惹き付けて離さぬ
魅力を持っているのだと思います。

 

親鸞聖人は法然聖人を生涯、師を仰ぎ、その教えを伝える事に生涯を

捧げた方です。自ら開宗する意志はありませんでした。

親鸞聖人の没後、浄土宗他派との教義の相違が明確となり、宗旨として

確立されることになりました。

 

「子弟関係とは、弟子が師匠を超えて初めて弟子となるのです。」


梯 実圓和上のお言葉ですが、まさに、法然聖人の専修念仏の
教えを一人、守り伝え続けた親鸞聖人は、まさに、「よき弟子」
だったのだと思います。

皆様にも、その方によって自分の生き方そのものが
かわってしまった、というような師がいらっしゃいますか?

親鸞聖人は「弟子一人ももたず・・」と仰いましたが、
私にとっては、親鸞聖人は宗祖であり、そのみ教えを頂く、
末席に加えて頂ける事を、心から嬉しく思っています。

宗祖「降誕会」、是非、ご一緒にお祝い致しましょうね。