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水無月(みなづき)6月の法話

煩悩に眼さえられて、摂取の光明みざれども、
大悲ものうきことなくて、
常にわが身をてらすなり・・・

今月は、親鸞聖人が七高僧のお一人と崇められた、源信僧都を
讃嘆されたご和讃を頂きたいと思います。

源信和尚は平安時代の中期、奈良県でお生まれにならました。
7歳のとき父親を亡くし、
母親の手で育てられておりましたが、
幼少より大変優秀な子供であったため、9歳の時に比叡山から
僧侶にならないか?とお勧めがあり、母親はわが子の将来の為に
泣く泣く手放したといわれています。

そんな、少年でしたから、母親孝行したいという思いで、
一生懸命学問や修行に励み、15歳のときには当時の村上天皇の
ご前で「称讃浄土経」のご講義をするという
名誉を賜わり、
「僧都(そうず)」という位まで頂いたそうです。

源信僧都はその名誉を、里で暮らしている母親に報告し、その時、
褒美に天皇から下賜された美しい織物を送ったのだそうです。
きっと、これで親孝行の真似事ができたと
内心、ホッとされて
いたのかもしれません。
ところが、しばらくして手紙と一緒にその品が送り返されてきた
のです。おどろいて、その手紙をあげてみると、


「後の世を渡す橋とぞ思ひしに
世渡る僧となるぞ悲しき


「この娑婆と仏さまの浄土への橋渡しをする、立派な僧侶になって
下さると信じていたのに、世渡りの上手な僧侶になってしまったとは、
なんと悲しいことでしょう・・」


本当に厳しいお母様ですね。でも、そこには立派な僧侶になって
欲しいという母親の深い愛情と願いが込められています。
源信僧都はこの母の言葉を生涯、胸に刻み、名利に迷わず、

ただひたすらに、お念仏のみ教えを説かれていかれました。

人間には様々な煩悩があります。
尊敬されたい、有名になりたい、人からほめられたいという名利も

煩悩の一つでありましょう。
まさに煩悩に真実の己の姿を見る、目が曇っている状態だと
いえるかもしれません。でも、それに気づけよ・・と常に照らして
下さっている阿弥陀様の智慧の光明は、源信僧都にとって、
遠くの郷里より、いつも自分を案じてくれている母親の深い
愛情に重なっていたのかもしれません。

阿弥陀様の深い慈悲の光明は、私が気づこうがきづくまいが常に
私を照らしている・・・なんともったいない事でございましょう。
思わず、
感謝のお念仏が出てまいりますね。

その光は今も、わが身を照らしています。
どうぞ、願われたこの「いのち」精一杯輝かせて
今日も一日、お過ごし下さいね・・・