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神無月(かんなづき)10月の法話

わしのよろこび虚空のごとく 世界のごとく 
             虚空世界も なむあみだぶつ 
ここにわたしを住ませてくださる慈悲が なむあみだぶつ                      
                     (浅原 才市)

江戸時代、お念仏を喜ぶ篤信な信者を「妙好人(みょうこうにん)」と呼んで、

手本にした時代がありました。
浄土真宗の信心は阿弥陀様より賜る「他力の信心」です。

そこには僧侶、在家信者の区別はありません。

 

厳しい言い方をすれば、いくら教学を勉強し偉そうな衣を身にまとっていても、
阿弥陀様のお慈悲を素直に「有難い」と肯けなければ、信心を頂いたという事には
ならないという事です。その信心こそが阿弥陀如来より賜る「往生の因」なのです。その為には、僧侶も在家信者も沢山、ご聴聞する必要があります。
聞いていく中で、阿弥陀如来のお慈悲に出遇っていくのです。

 

島根県温泉津(ゆのつ)の浅原才市さんという妙好人は、菩提寺、安楽寺の住職から教えを受け、阿弥陀如来の大慈悲を心から喜んで生きられた方です。
下駄職人だった才市さんは、下駄を作りながらその板の切れ端に、その時々、
心に湧き上がってくる歓びを書き留めていました。それを毎日、
勧学という学者であった安楽寺の住職に見せにいくのが日課だったそうです。
住職も毎日、難しい本を読んではその内容を才市さんに語られました。
そうして、いつの間にか才市さんは、理屈ではなく、息をするように
阿弥陀さまのお慈悲を肌身で歓べる念仏者にお育て頂いたようです。
やはり、仏法に出遇うためには、師が必要なのですね。

才市さんのお味わいの素晴しい所は、阿弥陀様の大慈悲を「虚空=宇宙」
だと受け止めている所だと思います。
浄土真宗の僧侶で哲学者、大阪大学名誉教授の大峯顕師は、

「大宇宙の完璧な秩序の中に、不完全な私が許されて生きている・・
この私を包み込んでいる大宇宙そのものが、大慈悲の世界ではないだろうか。」

と表現されています。まさに、才市さんの歓びの詩に通じる味わいです。
あの江戸時代に「虚空」という宇宙感覚をすでに表現する事ができたのは、
阿弥陀様の広大無辺な大慈悲を素直に領解(りょうげ)していたからに
他ありません。


わしのよろこび虚空のごとく 世界のごとく 虚空世界も なむあみだぶつ

ここに わたしを住ませて くださる慈悲が なむあみだぶつ 

 

星の瞬く美しい秋の夜長・・そのお心を素直に味わいたいですね。