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霜月(しもつき)11月の法話


         
 

11月は親鸞聖人のご命日法要である「報恩講」の季節です。

ご本山、京都西本願寺では1月16日のご命日にあわせ、
1週間の法要が営まれています。

その他の一般寺院では「お取り越し」と言って、早くお勤めされます。

東京では1日で済ましてしまうお寺がほとんどですが、地方へ行くと
2日〜5日のところも沢山あります。
また、各お寺ではそれぞれに、ご門徒さんたちが「お斎(おとき)」という
お膳をつくり、参拝者に振舞われているところが多いようです。
内容はお赤飯と野菜の煮物、お椀などが中心です。

ご命日にお赤飯?と思われるかもしれませんが、この日の法要にも
朱色の蝋燭を使います。
それは、私達にこのお念仏のみ教えを伝えて下さった
ご開山聖人へのご恩報謝の気持ちと共に、阿弥陀如来のお救いに出遇えたご縁を
お祝いしているからです。


阿弥陀如来のお救いの特徴は「摂取不捨」にあります。

私がどんなに逃げようとも、阿弥陀様の方から逃げる私を捕まえて

救済してくださるお働きです。
親鸞聖人は「逃げる者を追って取る。一度摂って決して捨てない」

と赤字で説明されています。


この私が頼みもしないのに、この私を追いかけてきてまで救済して下さる方が

阿弥陀という如来様なのです。どうしてでしょうか?

 

それは、尊い我が命に気づこうともせず、日々無駄に命を削って生きている
私の姿をご覧になり、
「悲しい・・」と大慈悲を起こされたからに他ありません。

人間は誰もが明日をも知れぬ命を持ちながら、過去を悔い、未来を憂い、
今、ここに命ある事を素直に喜ぶことができません。
それこそが「煩悩」の仕業なのです。

 

阿弥陀様の大きな慈悲の働きは、智慧の光りとなり私のこの煩悩の闇を
破って下さいます。
この光りに照らし出された私は、
多くの願いの中で生かされていた尊い命なのです。

沢山の命に支えられ、生きている私です。
この命は遠く38億年の命のつながりの中で、今「私」を生きている命なのです。
そして、この完璧な大宇宙の秩序の中で、許されて生きている不完全な命です。
この命はその願いの中で必ず、完璧な秩序、すなわち覚りの
世界へ
収め取られていくのです。


「摂取不捨」・・その大慈悲の中で今、私は生かされています。

朱色の蝋燭とお赤飯。この歓びに出逢えた事へのご恩報謝が「報恩講」の意義
でもあります。どうぞ、ご縁がありましたらご参拝くださいね。