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弥生(やよい)3月の法話

 

小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき
                           

                          (親鸞聖人著:正像末和讃 愚禿悲歎述懐98)



   
 

今、日本列島は戦後最大の危機を迎えています。

被災された皆様には心よりのお見舞いを申し上げると共に、
復興に向け、今、私にできることを、微力ではありますが、
させて頂きたいと考えています。

津波・原発事故・・すべてが想定外の出来事でした。
人間の知恵や経験を遥かに越えた自然の猛威の前では、
本当に為す術もない私達です。

連日テレビで放映される悲惨な光景に、多くの方が心を痛めて
いらっしゃる事と思います。
被災された方々の、苦しみを乗り越えようと
必死に頑張っている姿には
本当に胸を打たれます。
その悲しみ、希望を語る言葉の一つ一つが
尊い響きを持って
私の心に染み入って来るようです。


今、日本だけでなく世界の人々が「頑張れ!頑張れ!」と
エールを送っています。
でも、どうか、仏様の前ではもうそれ以上、頑張らないで下さい。
その理不尽さ、悔しさ、悲しみ、そのままに
思い切り泣いて頂きたいと願っています。
仏さまの大きな慈悲の温もりの中で、傷ついた
心を
どうかすこしでも癒して下さいますように・・・

凍える厳しい寒さを経験した者にしか感じる事のできない
確かな温もりが、そこにはきっとあります。

 

「何もなくなったけれど、命があるからいい・・・」

テレビのインタビューで答えていた方がいました。

同じ命を生きているのに、私にはその実感がありません。

仏教では「生死一如」と申します。生と死は背中合わせ。

死を見つめた者だけが、輝く生に気づく事ができるのかもしれません。

 

暖房のない凍える夜を過ごしている被災者の姿に涙しなから、

温かい部屋で美味しい食事に舌鼓を打っている私がいます。

これが人間の持っている小慈悲の姿です。

今、被災地や原発で命がけの仕事をしている方は中慈悲の方かもしれません。

でも、そこにも家族や会社、国家、あるいは信念の為という限界があります。

全く縁もゆかりもない者の苦しみ、悲しみが自分の痛みになり、

頼まれもしないのに、何とか一人も漏らさずに救いたいと願い、
その手段を考え、
実践していくのが大慈悲の姿です。
これを「無縁の慈悲」と言い、
仏さまの慈悲の本質です。

阿弥陀如来の慈悲と智慧のハタラキは、「南無阿弥陀仏」の
名号(名前)になって
今もあらゆる命に届いています。
私がこのお名前を疑いの心を離れて素直に頂く時、

私の口からお念仏が溢れてくるのです。
それが賜りたる他力の信心。つまり往生の因を頂いた姿です。

阿弥陀如来の功徳のすべてを名号(お名前)に込めて、
あらゆる衆生に回向する、
その大慈悲の中に
犠牲になられたすべての命が収め取られて行きますように・・・

               南無阿弥陀仏