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卯月(うづき)4月の法話

 「仏身を観るものは、仏心を見る。仏心とは大慈悲これなり」
               (仏説観無量寿経 正宗分 定善 真身観)

皆様、如何お過ごしでしょうか?
今年は桜の開花が遅れているようですね。
日本人にとって、桜は特別な存在です。
その、パッと咲いて潔く散っていく有様が、日本人のDNAに刻まれた、
無常観に響くのかもしれません。
花は黙って咲き、黙って散っていきますが、
その短い命の中で、多くのものを私達に教えてくれます。

 

さて、皆様は仏さまは居ると思いますか?
「仏さまは目に見えないから存在しない・・」
と答える人も多いのではないでしょうか。

現代人が受けている教育を「科学教育」と言いますが、
その中では、目に見えないもの、言葉で証明できないものは
存在しない・・と教えています。
ですから、今の現代人に仏さまの存在を信じなさい・・と言っても
難しいのかもしれませんね。

ある勧学(真宗学の最高学者)さんが、
「仏さまは見るものではなく、聴くものである」と仰いました。
何を聞くかというと、その大慈悲を聞くのです。
お釈迦様が説かれた8万4千といわれる「教え」は
すべて、仏さまの「大慈悲」についての説法だといわれています。

「どうして、仏さまはこの私を救おうとされているのか?」
そのお心を訊ねていくのが、浄土真宗のご聴聞の姿です。

「慈悲」という言葉の「慈」は慈しむという意味ですが、
インドの昔の言葉、サンスクリットで「マイトリィー」という原語です。
意味は、「見返りを求める事なく、他人の幸福を願う」です。

そして「悲」という字は悲しみ・憐れみという意味ですが、
誰の悲しみかと言えば、自分ではなく他の人の悲しみの事です。
サンスクリットでは「カルナ」が語源ですが、意味は「呻く」です。
他の人の悲しみに「呻く」程の痛みを感じる心を「悲」というのです。

仏さまだけが、この慈悲の心を無縁の人の起こす事ができます。
全く縁の無い人、今、目の前で嘆き悲しんでいる人の痛みを
ご自分の痛みとして共感していく・・この心を「大慈悲」と言います。

人生には思い通りに行かない事が沢山あります。

愛する人と別れなければならない苦しみ・・
どんなに努力しても得る事ができない苦しみ・・
憎しみ合う人と出会わねばならない苦しみ・・
身体や心があるが故の苦しみ・・
そして、生まれたからには必ず、老いて、病になり、死んでいく苦しみ。

仏さまは私達にバチを当てたり、裁いたりしません。
ただ、自分が縁に触れて、いかように転じていくのです。
その度に、思い通りにならない現実に嘆き悲しむ私をご覧になり、
「1人も漏らさず救いたい」と大慈悲を起こされたのです。

仏さまの前で手を合わせるとき、心が何となく落ち着いたり、
癒されたりする事はありませんか?
お釈迦様は、「仏さまのお姿を心に観ることは、仏さまの心を見る事であり、
その心とは大慈悲である。」と仰いました。

耳を澄ませば、仏さまの声が聞こえてきませんか?
悲しい時、仏さまが誰にも言えないその痛みに寄り添い、
一緒に泣いてくださっている姿が見えませんか?
仏さまはいつも、私の苦しみ、悲しみを大きな慈悲の心で
包んで下さっています。

仏さまは、お寺やご仏壇にだけ居るのではありません。
心にそのお姿を思い浮かべるとき、いつでも、どこでも
その大きな慈悲のお心に触れる事ができるのです。

そんな、温もりに包まれながら、
今日も、桜の花のように、精一杯生きてみませんか?