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葉月(8月)の法話☆

 喜び悲しみも み仏のお慈悲の中に

    すくい取られてすっきりと・・

                井上あきゑ

8月は「終戦」と「お盆」の季節。

今、私に繋がっている命の不思議に合掌しながら、

亡き方々の「いのち」に触れたい、そんな季節です。

 

昨年、NHKが終戦記念日を前に、

全国の18歳と19歳を対象に行った世論調査では、

日本が終戦を迎えた日について、

14%が「知らない」と回答したそうです。

 

この時期、テレビでも平和関連の番組が少なくなりました。

相変わらずのバラエティー中心の番組構成に、世間は

「お盆」でも「終戦」でもなく「連休」なのだと実感します。

実際、8月15日を「連休の最終日」

と答えた若者が多かったそうです。

 

一方、戦争で家族を亡くされた方にとって、

8月15日は、生涯、忘れる事のできない

特別な日に違いありません。

 

親交のある女性僧侶のお祖母様は、

東大在学中に海軍予備学生として沖縄前線で戦死した、

大切なお寺の跡取り息子さんの死を悼み、

生涯、枕元にコップ一杯の水を絶やさなかった

と聞いた事があります。それは、沖縄の洞窟で

乾きに苦しんでいたのではないか。との母心でした。

 

自慢の息子の戦死について、仰々しく国から英霊として

空っぽの骨箱を渡されたことが許せない、インチキだよ、

と彼女に語ったそうです。それは、当時、多くの母親が

胸に秘めていた言葉なのかもしれません。

 

お祖母様は、終戦後、絶望の中で必死に働き続け、

晩年、ゆとりができて聴聞するようになって、

初めて本物のご法義に出遇い、

心の平安を取り戻していかれたとの事でした。

 

昭和43年に発行された寺報に「老坊守」と称して

手記が残されています。

 

「八十四年という長い命を頂いてきた私、

・・愛児二人を病死戦死させた、断腸の悲しさ等、

今生の喜怒哀楽は語りつきぬものがありますが、

今はもう何もかもみ仏様のお慈悲のなかに救いとられて、

すっきりとした心持ちになりました。」

 

お祖母様は、沖縄の戦火の止んだ日とされる

6月23日に往生されたそうです。

茨城県古河の宗願寺様では、

今もそのご命日を非戦の誓いを新たにする日として、

「あじさい忌」と名付け、婦人会で法要をされています。

 

戦後、七十三年の今だからこそ、

語り継ぎたい「いのち」の物語です。

 

 

    本願寺新報8月10日号「いのちの栞」原文