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長月(9月)の法話☆

 母の身体には

  私の記憶が刻まれている。

                 藤川 幸之助

 

まもなく敬老の日ですね。

最近はお年寄りと言っても、お年を伺ってビックリするくらい、

溌剌としてお過ごしの方も多くなりました。

 

私の母も今年83才になりますが、

気儘な一人暮らしを楽しんでいる様子に、

ついつい電話もせずに親不孝をしております。

 

そんな母の常の口癖は

「子供の世話にはなりたくない。」

その言葉に込められたいろいろな思いを察すると胸がチクリと痛みます。

長寿は誰もが望む事ですが、

そこに「老いの苦しみ」が存在する事を忘れがちです。

 

先日、テレビの放送大学で詩人の藤川幸之助さんという方が、

認知症の母親との24年間に及ぶ、

壮絶な介護の体験を話されていました。

元、小学校教諭だった藤川さんは、父親の死後、母親の介護を引き継ぎ

「なぜ自分だけが・・」悶々と日々を過ごす中、ある日、

いつものように母親のまとまらない同じ話を繰り返し聞かされながら、

殺してしまいたい程の感情に襲われ「うるさい、黙れ!」

と怒鳴りつけてしまった事があったそうです。

 

その時、母親の悲痛な面持ちの中に、

ふと、昔、自分が子供だった時、

何度も同じ話を繰り返す息子の話を

「そうかい?コウちゃん」と、

終わるまでじっと聞いてくれていた母親の優しい瞳を思いだし、

「自分を生き直そうと思った。」と語っていました。

 

詩集『命が命を生かす瞬間()の中には、

「母は私以外の者にとっては、

体の動かなくなった唯の老婆かもしれない。

しかし、母の瞳。涙を拭ってくれた柔らかい手。

高熱の私を背負ってくれた広い背中。

母の身体には私の記憶が刻まれている。」

と綴られています。

 

認知症の母を「いのち」として見つめた時、

そこに、生かされて生きていた

自分の本当の「いのち」が見えたのではないでしょうか。

その「気づき」と「喜び」が

藤川さんに多くの詩を書かせたのだと思います。

先回りして届いていた母の無償の愛の力です。

 

今、私達の「いのち」にも先回りして届けられた

阿弥陀如来の大慈悲の相(すがた)があります。

「必ず救う。我にまかせよ。」

老いは老いのままに、安心してお任せできる世界が

今、この「いのち」を抱きしめているのです。

 

 

    

 

 

    本願寺新報9月10日号「いのちの栞」原文のまま