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霜月(11月)の法話☆

 

「悲しみがあったから 苦しみがあったから

                   ・・・今の私がいる。」      

                            稲葉 善来    

                  

                 

             

十一月は宗祖親鸞聖人のご命日法要「報恩講」の季節。

秋の深まりを感じながら、各お寺で宗祖のご遺徳を偲び

ご恩に感謝する法要が修業されます。

 

私のお寺は六本木ヒルズから程近い麻布十番にありますが、

時代の流れと共に、高層ビルやマンションが立ち並び、

周りにご門徒さんは一軒も無くなりました。

しかし、「報恩講」を近隣のお寺同士で勤め合い、

祝い膳としてお斉(おとき)を配る習慣は今も生きています。

 

ただし、手作りのお斉はごく僅か。

毎年、美味しいお弁当をリサーチするのが坊守のお役目の一つです。

それは、遠方からご参拝下さるご門徒さんに、

ゆっくりと法要に参列してご聴聞頂き、

美味しいお斉を召し上がって頂きたいという願いからです。

これも土地柄なのかもしれませんね。

 

ところで、「報恩講」とは恩に報いると書きますが、

そもそも「恩」とは、私の為になされた事(因)を

知る(心)という意味です。

 

もし、宗祖のお導きがなければ、今、

私たちはこの「いのち」の意味も方向も分からぬまま、

今生も尽きることのない生死愛憎の苦しみの中で迷い、

虚しく人生を終えていたに違いありません。

 

宗祖の90年のご生涯そのものが、現代に生きる私達に、

阿弥陀如来の救いのハタラキ(ご本願)に出遇う人生に

無駄なものは何一つない。という事を教えて下さいます。

 

私と一緒に超宗派「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で

活動しているIさんは最愛の息子さんを突然失った悲しみの中で、

ご本願に出遇っていかれたお一人です。

今、念仏者として多くの自死遺族の悲嘆に寄り添っています。

 

そんな彼女が会のHP「あなたに届けたい話」

こんな詩を書いてくれました。

 

「悲しみがあったから」

 

くじけそうになる時もある。

怒りに負けそうになる時もある。

悲しみに流されそうになる時もある。

でも…と思う。

 

悲しみがあったから

苦しみがあったから

今の私がいる。

あなたに気付かせてもらったもの。

それは、全てのいのちへの感謝。

ありがとう。

 

ご恩に報いる事など到底できない身ではありますが、

苦しみをそのまま慶びに転じていける人生を、

共に歩ませて頂きたいですね。

 

                合掌         

 

 

  本願寺新報11月10日号「いのちの栞」原文のまま