如月(2月)の法話☆☆

 春来れば 花自ずから咲くように・・・ 

  しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ。

                「いのちの理由」より
                    作詩: さだまさし

 

立春が過ぎ、寒さで凍りついた梅の蕾も少しずつ膨らんでくる頃ですね。

最近は鼻がムズムズしてくると春の気配を感じるという方も多くなりました。

花粉症の方は早めの対策が必要ですね。春はもうそこまで来ているようです。

 

さて、皆様は、さだまさしさんの「いのちの理由」という曲をご存じですか?

 

  

私が生まれてきた訳は 父と母とに出会うため

私が生まれてきた訳は きょうだい達に出会うため

私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため

私が生まれてきた訳は 愛しいあなたに出会うため

春来れば 花自ずから咲くように 

秋くれば 葉は自ずから散るように

しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ

悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

 

今から数年前、最初にこの曲を耳にした時、

自然に涙が溢れてきたのを覚えています。

誰もが問いを持ちながら、答えを見つける事が難しい

「私が生まれてきた理由」をハッキリと歌詞にされていたからです。

  

調べてみると、この曲は浄土宗が開祖法然聖人800年大遠忌を記念して

依頼した曲だという事が分かりました。

さださんは制作にあたって、

「法然聖人に関する資料を読みながら、皆さんに分かりやすいように、

自分なりに解釈しました。」とコメントされています。

 

仏教では自然を「じねん」と読みます。

英語のネーチャーの訳としての「しぜん」とは意味が違います。

「そのまま・このまま」という意味で「法爾(ほうに)」とも言います。

人為を超えた必然のハタラキ、法則の事です。

親鸞聖人の師である法然聖人のお名前の由来は、

この「法」と「然」から付けられたと聞いた事があります。

 

宗祖は門弟に宛てたお手紙の中で

「自然というは、『自』はおのづからといふ。行者のはからいひにあらず、

『然』というは、しからしむということばなり。

しからしむというは行者のかはからひにあらず。」と書かれています。

 

まさに、阿弥陀如来の救いのハタラキ(他力)は自然法爾。

庭先の梅の蕾が春の光に照らされてやがて開花していくように、

「このまま」の私が阿弥陀如来の救いのハタラキにお任せして、

仏へと転じられていくのです。

そこには、私達の計らいは何一つ必要ありません。

 

私が生まれて来た訳は、「南無阿弥陀仏」に出遇うため・・

しあわせになる為に生まれてきた私達の「いのちの理由」です。

 

 

 

 

本願寺新報2月10日号「いのちの栞」原稿原文まま

*実際の掲載文章は字数の関係で編集者の校正が入ってます。